今回は、続膝栗毛より、この地域に関連した騒動をみてみます。(紙版ミニコミ番号:第78号/H25.7発行)
(弥次さん喜多さん、続膝栗毛での行程)
東海道中膝栗毛で大阪まで旅をした2人は、そこから金毘羅、宮島へと船で瀬戸内海を行き、帰りは中国筋から中山道を陸路で江戸まで旅しました。
続膝栗毛が出版されたのは、江戸時代も後半、この頃になると街道や宿が整備され世の中も安泰となり、次第に庶民の間には信仰を目的としたまた、信仰を口実とした旅が広がっていきます。
弥次さん喜多さんが旅した、伊勢、金毘羅、宮島、善光寺はその当時の代表的な名所で、庶民にとって一生に一度は訪れたいあこがれの地であり、膝栗毛は旅のガイドブックとしての役割を持つようになります。
さて、弥次さん喜多さん、中山道を江戸へ帰る途中、相変わらずのドタバタ道中で赤坂宿あたりまでやってきました。
赤坂宿の少し手前で茶屋に寄った弥次さん喜多さん。 後から来た男が、持っている一貫文がじゃまなので二朱銀と交換してくれ、と言う。
一貫文は960~1000文で、上記の絵のように一文銭にひもを通してまとめていました。一貫文を二朱銀貨幣と交換しようとしている事から、二朱銀が1000文前後だったのでしょう。(江戸時代は年や場所によって貨幣の相場が変動していました。)
男は二朱銀と800文を交換でどうだと値切る。結局は950文で取引成立。
弥次さん、懐から銀貨をとり出して、男の銭一貫(950文)と交換する。男はしばらく弥次さんの銀貨を手にとって(ここで男は弥次さんから渡された銀貨を、持っていた自分の偽物とすりかえる)違う二朱銀と換えてくれと言って偽物の銀貨の方を弥次さんに渡す。
弥次さん、しかたがないので他の銀貨を取り出して取りかえてやった。弥次さんは男が持っていた偽の銀貨を貰い、別の本物の銀貨を渡してしまう。
どうもおかしいと喜多さんが 銀貨をみると、偽物!!今となっては、後のまつり・・・。どうやら弥次さん詐欺にあったみたい。
これは、旅の道中では、よくあった事です。
偽金を本物の貨幣と手品のようにすり替える詐欺がいるから、道中で出会った者に頼まれても、決して両替をしてはいけないのです。
次回、弥次さん喜多さん 美江寺宿へ向かいます。
弥次さん喜多さん、美江寺宿で一騒動へ