コンテンツ
第56代 清和天皇
↓
貞純親王
↓
経基が「臣籍降下」により源姓を下賜される
源氏 | 源経基 |
↓ | 満仲 |
↓ | 頼光 |
↓ | 頼国 |
↓ | 国房 |
↓ | 光国 |
↓ | 光信 |
↓ | 光基 |
土岐氏? | 光衡 |
『美濃源氏土岐氏主流累代史全』より
頼光の頃より美濃守として美濃国に深い関係を持っていきます。
国房が美濃国厚見郡茜部地方(現 岐阜市茜部)に土着し、しだいに土岐郡に本拠を移し、光衡の時、姓を源氏から「土岐氏」に改めました。
※いつから「土岐氏」を名乗ったかについては異説あり。
初代土岐氏 光衡
(生年 平安後期~鎌倉初期)
鎌倉時代に光衡が御家人となり、室町時代には代々美濃守護として「土岐氏」が美濃国を治めました。
皇族には戸籍がないため、皇族を離れる皇子たちに戸籍(姓)を与え、臣下にすることを「臣籍降下」と言います。
天皇の子孫をすべて皇族とすると、皇族の数がどんどん増え、財政が破綻してしまうため、第〇皇子以降は臣籍降下をしました。(時代によって〇は違った)
あるいは自ら皇族を離れる事を願い出た者もありました。
清和天皇の皇子・孫で源姓を名乗った子孫が各地に広がり、武士として活躍したため、他の天皇の系列の源氏と区別するため「清和源氏」と言われます。
天皇により下賜する姓が決まっており、平安時代多くが源氏・平氏でした。
なかでも清和源氏と桓武平氏は日本歴史の表舞台で活躍しました。