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ギフチョウ発見者、シロアリ駆除の先駆者として知られる昆虫博士、名和靖氏は瑞穂市重里で誕生、この地の豊かな自然が偉人を生みました。
(紙版ミニコミ:第30号 H21.7発行)
名和 靖は幼い頃から昆虫に興味を持ち、昆虫学の発展に寄与したばかりでなく、害虫防除による農作物の増産、シロアリ被害からの建物保護など国家経済にかかわる多大な貢献をしました。
小さな生き物相手の想像を絶する忍耐力、ただ単に好きだったからと言うだけではすまされない使命感に燃えた昆虫ひとすじの人生でした。
明治16年4月、現在の下呂市金山町で見たこともない美しい蝶に出会います。
調査の結果新種とされ、世界に広く知られる事となります。
発見の話題は地元で評判となり、誰からともなく「ギフチョウ」と呼ばれ、靖氏もその名を使うこととしたそうです。
その美しい姿からギフチョウは「春の女神」と呼ばれています。
※江戸時代の図録に「錦蝶」としてギフチョウが描かれており、その頃から存在は確認されていたが、一般的に周知されていなかったそうです。
「昆虫翁 名和 靖」「まいあがれ!春の女神」他参照
洪水のあった明治29年の翌年、島村ではカボチャの実が全くできず、頭を抱えました。
名和先生が手で花粉をめ花につけるよう指導したところ、みごとたくさんの実がなりました。
いつも花粉を運んでくれた地バチの巣が洪水で流されてしまったため、実が出来なかったのです。
ウンカの大発生で稲が大打撃。
その損害額は当時の金額で7500万円にのぼりました。
このような被害を出さないため、全国で害虫駆除講習会を開き、「まず昆虫とは、害虫とは、益虫とはと知る事が大切」と多くの人びとに教えを広めました。
全国の駅の建物、柵、枕木のシロアリ被害調査を依頼された時、鑑真の開いた唐招提寺にも足をのばすと柱にも仏像にもシロアリが
・・・。
すぐにことごとく消毒をして事なきを得ました。→ 唐招提寺シロアリ被害の柱が名和昆虫館の柱として使われています。
日本で初めて私立の昆虫研究所を設立します。
国家経済を救うために、昆虫学を生かしたのみならず、子ども達に命の営みの神秘とすばらしさを伝えるという人間教育に高めた事は、功績というより深い人間愛を感ぜずにはいられません。
祖父が大切に育てている庭のバラがミドリアブラムシのために元気をなくしていきます。
それを手で取り除きながら観察しているうちに、バラ一株をとりまき様々な昆虫たちが絶妙のバランスを保ちながら生存競争を繰り広げている事を発見しました。
のちに生涯をかける事となる害虫防除に対する情熱の原点をここに見る思いがします。
※蟲と虫は本来別の漢字でした。
蟲=ちいさなむし 虫=まむしなど細長いもの。
現在は蟲の略字も蟲となり区別がなくなりました。
※全国各地でみられる”虫送り”の行事は昔の人々が祈りによって稲の害虫を追い払い豊作を願うものでした。
ミドリアブラムシ(アリマキ)はバラの栄養を吸い取ります→クマアリはミドリアブラムシのおしりから出る甘いみつをもらうかわりにミドリムシに寄ってくる天敵にかみついたりして守ります。
テントウムシ・クサカゲロウ・ヒラタアブはミドリアブラムシを食べて、バラを守ります。
昆虫の研究知識の普及に専念するため、私財を投じて名和昆虫研究所を設立
金華山のふもと岐阜公園の一角へ移転。
生涯を通じて30万頭以上製作したと言われる氏の標本から、現在代々活動を続けられている中収集されているものまで、相当数が納められる日本有数の昆虫館です。
又、記念館、博物館は建築物としても文化財の指定を受ける貴重なものでレトロな洋館が長い歴史を感じさせています。
「器用貧乏のオレ様になってはいかん、馬鹿の一つ覚えでいい。一つの事に打ち込め」祖父の背中で幼い頃に聞いた教えをそのまま生きた名和 靖氏の志は現在もここに受け継がれています。
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