歴史

弥次さん喜多さん河渡宿で怖い目にあう

2017.08.20(日)

今回は、続膝栗毛 美江寺宿を出た弥次さん喜多さんが”河渡の渡し”で浪人2人に声をかけられて、怖い思いをするお話です。(紙版ミニコミ番号:第80号/H25.9発行)

河渡の渡しで髪もひげもぼうぼうで、安物の垢じみた着物を着て、古びた刀を差した浪人めいた二人組に声をかけられた。

「おいらも江戸者だ、話をしながらゆくべい」

喜多さんが断ろうとすると

「怖い者ではねえ たかが泥棒よ ハハハ・・・」と浪人

弥次さん怖くて震えながらも、弱みを見せまいと強がって、弥次さん「わっちらはこう見えても剣術の免許を取った男よ!」

すると逆に気に入られてしまい

浪人に「同宿しよう」と誘われ、むりやり同じ部屋にとまる羽目になってしまった。

その夜、近くで盗みがあり、役人が宿を一軒一軒調べていると聞き

「やはりこの浪人が盗人か!一緒にいたら巻き添えだ、いっそここから逃げるか・・・」「いや、逃げたら疑われるか?」

「逃げ出すならおいらが先だ」 

役人が来たので、喜多さんが一目散に逃げ出したところ中庭に転げ落ち、そのまま縁の下へ這いり込んだ。

そこへ宿の亭主が「泥棒が捕まった」と知らせる。

結局、浪人は盗人などではなかった。役人の剣術の先生で、役人は浪人を訪ねて来ただけだった。

「泥棒だとからかったら途方もない怖がりよう、おもしろかったぞ ハハハ・・・」

縁の下の喜多さん、上の様子がわからず怖さと寒さでしばらく大変な目に・・・。  

一件落着後、ようやく床下から出てきた喜多さん、土やすすで全 身真っ黒、頭にはクモの巣、ふんどしがほどけて寒さでガタガタ ・・・、なさけないに。

やれやれと思ったら今度はお歯黒?

浪人たちのいたずらにはおどかされた弥次さん喜多さんだっが、 盗人が捕まった後は、それも大笑いとなり、うちとけて夜の更け るまで、酒を酌みかわしていた。

午前2時頃から大雨。

夜明け頃、空が晴れかかったので出立しようとするとまた大雨。

しかたないので一寝入りしようと、とろとろしたところへ、川留 めになったと人が騒いでいる。

喜多さんが「かまうことはねえ、でかけよう。土地の者が銭もうけしようと思ってだまくらかすのだわな」と言うと

「わしらもお客を早う発たせて一息つきたいくらい、そんなおぞいことは申しませぬ」と宿の亭主。

亭主の言う事もなるほどと出立を見合わせることにしたところ、そこの女房が

「退屈でしょう、珍しくはないでしょうが、うど んを打ちましたので召し上がれ」とすすめる。

ところが醤油と間違えてお歯黒をつけ汁にしてしまう。  

※お歯黒は歯を黒く染める事です。古代は身分の高い人のみでしたが、しだいに一般に広がりました。そして江戸時代になると既婚の女性のみがお歯黒にするようになりました。虫歯予防などの効果もあったそうです。

結局、川留めになったのは、昨日渡ってきた川で、今日渡ろうとした川とは違う川の事だった、やれやれ・・・。

赤坂宿方面からやってきた弥次さん喜多さんは、美江寺宿へ入るには大きな川、現在の「揖斐川」を、また美江寺宿から河渡宿と来て、加納宿方面へ向かうには、「長良川」を渡らなくてはいけません。

弥次さん喜多さんは昨日渡ってきた揖斐川が氾濫して川留めになったのを、長良川が氾濫しているのだと思ったのでしょう。

旅人にとって、川を渡ると言うことは大変な事でした。軍事上、戦さで敵がすぐに攻めてこれないように、大きな川に橋が架かってなかったからです。

川が氾濫すると、旅人は足止めとなり宿で渡れるようになるまでひどい時は何日も待たなければなりませんでした。

金の草鞋と十返舎一九へ