歴史

中山道は姫街道

2017.10.11(水)

NHK大河ドラマ「篤姫」で堀北真希さん演じた「和宮」

今回は和宮様に代表される公家のお姫様のお嫁入りに中山道が使われた様子を書いて行きます。(紙版ミニコミ番号:第21号/H20.10発行)

中山道は姫街道!

中山道は別名 姫街道とも呼ばれます

(東海道の脇街道にも姫街道と呼ばれるところがあります)

【中山道を通った公家から将軍家へのお嫁入り】

1657年浅宮(16才)4代家綱(15才)
1731年比宮(20才)9代家重(20才)
1749年五十宮(11才)10代家治(13才)
1804年楽宮(10才)12代家慶(11才)
1831年有姫(8才)13代家綱定(7才)
1849年寿明姫(23才)13代家定(25才)
1861年和宮(16才)14代家茂(16才)

上記は中山道を通った年。婚礼までは数年かかっている場合もあります。

※この地域では、赤坂宿と加納宿が主に泊まりの宿でしたが、楽宮は美江寺宿で宿泊されています。
(初めて宮様お泊りの通知に、村中が仰天したそうです。)
 
※家定の時、有姫も寿明姫もお嫁入り後若く亡くなられたため、公家の姫より丈夫そうな武家の中からという事で、「篤姫」を御台所にされたとか。

2008年のNHK大河ドラマでは、宮崎あおいさん演じる「篤姫」は確かにしっかり者でしたね。その時、徳川将軍家、家茂へ嫁いだのが堀北まきさん演じる「和宮」です。

※和宮は天皇の皇女であり、将軍家へ嫁ぐのは前代未聞の事、朝廷と幕府の威信をかけた史上最大の行列となりました。今でも中山道の各宿場では、多くの記録が残されています。

華々しさの裏に、京から遠く離れた江戸の見知らぬ人のところへ嫁ぐ、胸いっぱいの不安とさびしさを乗せて姫行列はこの町をいく度も通り過ぎていきました。

姫君のお嫁入りに中山道が多く選ばれたわけは!

①幕府は江戸に攻め込もうとする者を防ぐため、街道と交差する大きな川に橋を架けませんでした。東海道には、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」といわれた大井川など大きな川があり、大雨などで水かさが増すと何日も渡れません。また、交通量も多く、お輿入れなのでとどこおる事を嫌って、中山道へ

②東海道は七里の渡し、今切の渡しという海路があり、船酔い、しけなど、女性にとって大変つらい為、海路のない中山道へ

③東海道には、今切の渡し、さった峠(去った)、など縁起の悪い地名がある一方、中山道には逆に馬籠(孫目)、上松など縁起の良い地名がある。

④風光明媚で旅人の目をたのしませてくれる中山道へ

などの理由が考えられています。

次回は和宮様の降嫁大行列、この地域を通過した様子をみてみます。

和宮大行列、中山道を通るへ